インデックス・オブ・コスモス

なんでこんなギスギスしてるのかなーとふと我に返る。なんかtwitterだと140字に思考が制限されるんだよね何となく。刻むようにことばが綴れない。つまり日記には向かないなあって事なんだけど。


東方projectに関しては、平たくいえば、氏はもう違う創作に向かったらいのにと、結構前から漫然と思っている。あらぬ大きさまで育ってしまった繋がりとかしがらみとか、守りに入ったら人生終了ですよとか。
たとえ歩みが止まったとしても過去の奇跡まで塵芥と化すわけじゃないんだし。東方projectがこの先高みを目指すとしても、それはもう創作とは別のフィールドだと思うし。仮に、氏が創作はもういいやと思ってるのならどうこういう筋合いではないのだけど。
まあおれ個人の願望として、氏にはもっと新しいものを見せてほしいって話か。少し前にも同じようなこと書いた気はする。


守るべき世界は即ち個人の所有物となり、自分の手の届く広さに制限されたそれらはせめぎ合いながらさらに圧縮されていく。金融システムが崩壊したって、新型インフルエンザが大流行したって、たとえ核戦争が起きたって、きっと人類は滅ばない。じゃあその事実に対してどうアクションするのかって話だけど、大概において絶望するかドラマを夢想するか、まあ0か100しか想像出来ないんだよな。個人の尺度でしか世界を実感できない、結局。社会というものを、社会が直接自分に与える影響それ自体だと思ってる。自分の身に火の粉が降りかかって初めて騒ぎ出す。要するにセカイ系なのよね。みんな。


ここまで情報化された社会でも、過去は忘れ去られていくという観念はぬぐえないのなと思う。情報があふれているからこそともいえるのかもしれないけど。
ひとが今を維持しようとするのも、たやすく他人を騙すのも、この観念があればこそなんだよな。過去に取り残されたらあっという間に忘れ去られてしまうとか、どうせ恨みも怒りも時間が経てばみんな忘れるよとか。もし、末代まで後ろ指を指され続けると思えば、誰が背信出来るというんだろう。
情報が無くてもダメあってもダメ、つまり管理の仕方に問題があるんだろう。記憶なんてどうしたって信頼性のないものだし、いっそ頭の中にインデックスだけ放り込んでおければベターなんだろうけど。


その辺に、この閉塞感を何とかするためのヒントがあったりしないだろうか的な、そんなとりとめなのない思考。