季節もの
毎年度末にかけて心身の自律が怪しくなるのはまあ恒例ではあるのだけど、経験の蓄積で精神が擦れてくるのと相対するように肉体側の変調が酷くなるのは、余計なバランスだなあと思う。
尤も、精神の変調については、そういう状態の時の方が世界を正確に認識しているという感覚はあるので、自律した精神は本来世界と対立するもので、心の安定と肉体の不調というのは、実は同じ方向性の変化であるのかもしれないけれど。
作用、そして反作用
物理的観点からみれば、日本と韓国の関係など今の位置でパワーがバランスしている限り変わりようがないとしか言いようがないけどなあと。種々の政治的課題などは、比較的単純な物理現象の神話的解釈のようにも見える。
バランスが変化して、例えば万里の長城あたりで均衡すれば関係は良好になるだろうし、対馬海峡あたりでバランスすれば日本は荒れてそれどころじゃなくなるんじゃないかな。
とはいえ、我々が我々であるためには物語的な要素が多分に必要なので、あまりモデル化しすぎると精神衛生面でフェイタルなエラーを誘発しかねないということで、一見無駄にも思える多少の揉め事などは、世界を味付ける香辛料のようなものだと思っておくのが無難なのだろう。