めんどうくさい女

なんかこってり書こうと思っていた、という感覚だけを残して失念。奥歯に挟まった物はとれても、胸のつかえはとれない。


たとえば、行きすぎた拘りというものは概ね心の余裕の無さから生じる。人格なんてその場しのぎの繰り返しで塗り重ねられた地層のようなものに過ぎないし、その全てを抱え込む必要はないのにな、と思う。彼ら彼女らは、なんらかの受け入れがたい事実と戦ってるのだろうけど、伸びきった戦線はいずれ崩壊するのみだ。


福音とは、要するに何かを忘れるための呪文であり、心を救済するのは常に忘却である。それは精神の安定稼働のためには不可欠なしくみだけど、現在の自分にとって不要あるいは有害だとしても、他人や未来の自分にとって有効かもしれないと思えば、ただ失われるのは少々勿体ない気はする。というわけで思ったことをひとつふたつ書き留めるくらい毎日だって出来るだろうにと思いつつ、気がつけば前回からすでに10日ほど経過しているわけだが、という話。