データマトリクス象形

トゥイッターという表記がどうも野暮ったく感じるのはなんでなんだろうなと考える。


割と多くの人がついったーとかひらがなで書いているのを見ると、トゥイッターはヤボいけどツイッターは発音と乖離しているのでどうも…みたいな葛藤が感じられてほほえましい。まーそんなに発音にこだわるなら、例えばapple社のことを「アポー」とか表記したらどうなのよとか思うけど、そんなことにはならないのが世の現実。


そんなこんなで、最近は文字の持つリズムみたいなものについて割と考えるのだけど、文字や文章の語感を決定するのは、声に出したときの音韻ばかりではないよなと思う。わかりやすいところで、おなじ言葉でもひらがなで書くのとカタカナで書くのと漢字で書くのでは、それぞれのイメージは全く違うよね。とか。


ひとつ確実に差があるのは字数かな。トゥイッターはツイッターより1文字多いから野暮ったい。これはありそう。じゃあエヴァンゲリオンよりエバンゲリオンのがスマートなのかっていうとそうでもなさそうだけど。「ゥイッ」っていうのが見た目的に落ち着かないってのはあるような。なんで落ち着かないのかわからないけど、たぶんある。どうも単語未満の二〜三字の配列から連想されるものがあるような気はする。「ツイ」だと硬質・鋭利・つるつる、「トゥイ」だと弾性・曲形・しっとりみたいな。これは擬音系の連想かな。


こういう語感とかって結構普遍的なものだと思うんだけど、あんまり文章の書き方みたいな文献では説明されてないような気はする。なんか良い資料はないものだろうか。