鏡の国のカリカチュア

おれは自分の精神状態の波が思考に与える影響を割と積極的に利用しているのだけど、これが他人からみるとアピールうぜえーみたいな感じなんだろうか。いやまあ鬱なら鬱で、躁なら躁でそれなりの発見はあるわけで。気分て感染するから迷惑っちゃ迷惑なのかな。保菌者に対する感情か。時代は病院行け。から保健所行け。へとシフトする…!


常々、というほどでもないけど、巷で見かけるへんなカテゴライズが伝染病みたいに蔓延して、その人の発信する情報を腐らせていく状況はなかなか忌々しいよなあと思う。そりゃ言葉が語りきれない部分は別の何かで補填するしかないわけで、人間の思考がぜんぶ比喩である以上、型にはめないと理解できないってのは当然あるんだろう。人の言葉が根本的に不完全であるのは仕方ない。
要はそういう事実を認識しているかどうかってことなんだよな。そこに生じた結像は、ただ自分の性質を屈折させただけの代物じゃないのかという。邪推、深読み、履き違え。人の話を聞かない人の思考って、きっとこういう構造を先鋭化した感じなんだろう。


逆にそのへんをうまく活用しているのが、占いや格言のようなものなんだろうけど。