ドットマトリクスの夢

たとえば、とある電卓が1+1という入力に対し2と出力することに疑問を抱いたとして、そいつは3と出力するだろうか、あるいはなにも出力しないだろうか。それとも疑問を抱きつつ2と出力し続けるだろうか。システムやルールによって意味を与えられた要素が、その前提に疑問を抱く不条理。十数個の釦が目となり耳となり、数個の7セグメントディスプレイが言葉となり文字となったところで何が変わるだろう。バグも仕様もうちゅうのほうそくも全ては前提の範疇であるなら、不条理もまたその範疇ではないのか。