記述不可能性

言葉は伝えなければならない、とは思うのだけど、その点についておれは努力していないということになるのかな。事務的な連絡なら、最大公約的な記述で事足りるのだけど、伝えるべき感覚、感触、感情みたいなもやもやした実態は、誰にも伝わる明快な文章に翻訳するとどこかに消えてしまう。筆力とかそういうセンスの話をされるとそうですねという感じだけど。電波という表現も世界に溶け込んだ。大槻ケンヂは偉大であったと思う。