瞼の光

日本語って難しい。いや、言葉にするとこれまた大層チープなのだけど、まあそういうことなのだ。日本語じゃなくても難しいのだろうけど他の国の言葉は知らないのでわからない。
おれはいつも文章を打つとき、とても滲んだ言葉を選びがちで、我ながら頭の悪さを露呈しまくってるなあと思わなくもないのだけど、どれだけ考えてもそれ以上的確な言葉が見つからないのだから仕方がないでしょと開き直るしかない。特許言語とか目的のはっきりしてる文章の場合まああれはあれで美しいのだけど、日記とかひとのカオスな精神を表現する文章でくっきりした言葉使いをしているのを見ると、どうも落ち着かない。自分の思っていることはそんなに正確には伝わんないよと思う。
なにしろ言葉で伝えられることというのはなかなか限定される。微妙なニュアンスを表現するには、たとえばその村のみで通用する方言に頼らざるを得なくて、別の村では違うニュアンスで使われてたりするからこれがまた手に負えない。こう、もうすこし表現範囲の広い、最大公約的な言語はないもんかなーと悩んでこの有様であり、結局半端な言い方しかできないという着地。言葉を専門に使う人ですらあるコミュニティの中でしか生きられなくて、それは例えばSFでありラノベでありケータイ小説であったりするのだよな。非現実的な比喩でしか伝えられない現実、ってどんなバベルの報い。
まあ、そうは言いつつ気づかないうちに使ってしまっているもので、昨日のござるとかですけどーとか方言すぎる。意味が変わってしまったり通じなかったり、どこの地方の出かがばれてしまったりまあいろいろと。所詮おれたちはどうしたところで村に生まれて村に死ぬ存在なのか。