同情と憐憫とその他諸々の件

親子愛でも異性愛でもそれ以外でもいいのだけど、例えば虐待されている子供がなお親に見せる愛情とかに対して他者が覚える感情について、当事者の行動も機械的だけどそれはともかく外の反応もたいがい同じ系統の単純な論理回路から出力される現象だろうなわけで、こうなんかその手の話題でちょっといい話(あるいはちょっとやな話)的なベクトルで盛り上がってたりするのを見るとわりと得体の知れない絶望を感じる。動物的な行動を当人が高尚だと感じている(ように見える)からか。あらゆる感情は紛れもなく生存行動と直結していて、それ以外と結びつけようとする論理は全て妄想なのか。